「寺院明細帳」より
開基、蓮崇 出所不詳
創立、文明三年月日不詳
縁起 開基蓮崇ハ、元真言宗清涼寺住職ニシテ、智門ト号ス。文明三年本願寺第八世蓮如法主ニ帰依シ、改宗シテ法名ヲ蓮崇ト改メ、後チ寺号ヲ西光寺ト改ム。
明治十一年(1879年)十二月 右寺住職 禧美智玹
「貞享書上帳」より
由来御尋に付申上候
一 当寺開闢者、元亀三年(1572年)玄祐と申僧寺建立仕、拙僧迄六代相続仕候、年数之儀者、至当歳百十四年に罷成候、
一 居屋敷之儀者地子地に罷有申候、
右之外由来並縁起寄進状等無御座候以上
珠洲郡正院村浄土真宗東方
西光寺円慶
貞享弐年(1685年)六月廿三日
「珠洲郡誌」より
初め暴徒坂にありしとも、又八箇山にありしとも伝ふるものあれども、その時代を詳にせず、初め真言宗にして清涼寺と称せしが、文明3年(1471年)時の住職智門、本願寺蓮如の北国巡錫の際これに帰依し、蓮崇の名を賜り、寺号を今の名に改めたりという、但し貞享文化の書上帳には、元亀3年(1572年)玄祐の開基なりとあり、後説真なるべし