毎年4月24・25日に珠洲・正院・西光寺において、蓮如忌「へんじゃまいり」がつとまります。
4月24日と25日の両日、瓶子家(屋号:へんじゃ)でお勤めのあと、さしかけられた朱傘のもと、瓶子家の当主が「へんじゃごしょさま(御文・蓮崇書写本)」を捧げ持ち、行列をしながら、西光寺へと向かいます。西光寺本堂で「へんじゃごしょさま」は住職に手渡され、お内陣に安置されます。西光寺でのお勤め、住職による「ごしょさま」拝読、法話のあと、また、瓶子家へと運ばれます。瓶子(へんじゃ)家と「へんじゃごしょさま」より、西光寺蓮如忌は「へんじゃまいり」と呼ばれています。
特に25日は、正院町雅楽会の奏でる笛や笙の音に合わせ、行列をします。また、当日のお勤めは、招待された組内各寺の住職さんによるもので、重々しく荘厳なお勤めです。昔は、正院以外の村々からも「へんじゃまいり」の日を農休みとし、大勢の方がお参りに来られました。その頃には参道の両側に露店が並び、子どもたちにとっても楽しい一日でした。また、若者の出会いの場でもあり、お嫁さん探しに右往左往する人も多くありました。
最近は、参詣の方は少なくなりましたが、「へんじゃごしょさま」を、瓶子家の当主が捧げ持ち、西光寺まで進む行列は今も続いています。 蓮如上人が亡くなられて500年余り。しかし、その間ずっと守られてきた伝統行事。この「へんじゃまいり」には、今も蓮如上人が生き続けておられるのだと思います。

この「へんじゃごしょさま」のお参りですが、江戸時代までさかのぼります。
西光寺に伝わる「へんじゃごしょさま(御文・蓮崇書写本)」と三具足1組・上人愛用の茶碗1個(茶碗は紛失)ですが、江戸時代にいろいろなことで一時西光寺を離れました。けれども、ご門徒と西光寺で大変な苦労のすえ、文化14年(1817年)になんとか再び元にもどりました。そのとき、瓶子屋・西光寺・総門徒で、もう二度とこのようなことがないようにと改定書を作成しました。
改定書の最初に、「御公儀を煩わし、莫大な金子で再入手に至ったので三者で協議し、重宝を預けることについては、総門徒に任し、西光寺並びに瓶子屋及びその親類は預け先については口出しするな」と厳しく書かれています。また、三具足の長さ・重さまで書かれており、その他お参りについての細かい定め等が記されています。厳しい規定の設けられたこの改定書には、西光寺・瓶子屋の印が押され、総門徒との協定も記され、重要な宝物として保存していく姿勢が示されています。